千葉の上総地方には上総道学という儒学がかつて栄え、地域の人々の生活規範・行動規範に大きな影響を与えました。この上総道学の特徴の一つは、講義録が漢文ではなく、口語調で書かれているということです。しかも、門下の人たちはそれを写本して使っていたので、数多くの講義録写本が現在も残っています。私たちは、上総地方に生まれ、または当地に居を構えた者で、そのメンバーの中には上総道学の末裔もいたことから、黙斎の講義録写本を知る機会を得たわけです。初めて見た黙斎の講義録は長い間書棚や箱の中に埋もれ、まさに「吾道之所寄不越乎言語文字之閒」の感がありました。そこで、私たちは1997年5月29日に黙斎を語る会を結成し、今日に至っています。
*講義録写本は現在千葉県文書館で整理中なので、文書館に行ってもそれを見ることはできません。
☆上総道学について
上総地方ではかつて道学が盛んでした。また、成東町では現在も毎年、黙斎顕彰事業が催されています。
上総道学は、成東町にある大橋の改修工事のために代官手代であった酒井脩敬(稲葉迂斎門人)が当地へ来たことから始まります。その時に彼がその土地の鈴木荘内と和田義丹を江戸に連れて行き、彼等が迂斎の門人となったことから、上総の多くの人が迂斎のところへ入門することになりました。この人たちが上総に帰って学舎を開き、師伝を守り伝え、地方を教化してゆきました(主な者を上総八子と言う)。学舎の中には昭和初期まで続いたものもあります。
しかし、迂斎に学んだ地元の人だけでは上総道学の発展はなかったことでしょう。やはり、黙斎自身が大網の清名幸谷に移り住み、そこで後進の教導をしたことが大きいと思います。黙斎のもとには上総の門人だけでなく、江戸諸藩の士や一般の人々までが彼の講義を聴くためにやって来ました。