上 総 道 学 の 地
1.黙斎、元倡寺に眠る
(写真をクリックすると拡大します)
【元倡寺】
稲葉黙斎は、ここ成東町の元倡寺に眠っている。
【稲葉黙斎の墓の全景】
元倡寺の裏手、西側の傾斜地の中腹に黙斎の墓がある。
墓地中央が黙斎の墓である。その右側には稲葉十二、左側には稲葉友斎と矢島婦人の墓がある。
【稲葉黙斎の墓】
【稲葉十二の墓】
【稲葉友斎の墓】
【矢嶋婦人の墓】
2.和田儀丹、福星寺に眠る
和田儀丹は鈴木養察(荘内)と並び、上総道学草分けの人である。
儀丹は成東町上町の福星寺に眠っている。
3.上総八子の墓
上総八子は、鈴木養察(成東町姫島)・鈴木兵右衛門(松尾町折戸)・布留川彌右衛門(九十九里町片貝)・平山安左衛門(成東町早船)・安井武兵衛(成東町成東)・安井半十郎(成東町小松)・鵜澤近義(大網白里町清名幸谷)・櫻木誾斎(東金市)の八人である。
今回、布留川彌右衛門と安井半十郎、平山安左衛門の3人を除く5人を載せる。
【鈴木養察の墓】
【前中央が鈴木養察の墓】
【鈴木兵右衛門の墓】
【安井武兵衛の墓】
【櫻木誾斎の墓】
【鵜澤近義(左)と婦人(右)の墓】
【鵜澤近義の墓】
左
後ろ
右
4.上総道学発祥の地・・・成東大橋
左から現在の成東大橋(2枚)、 かつての成東大橋(出典:成東大橋の歌)と橋から見た作田川
愛宕山から見た成東の町並み
(はるか前方には九十九里浜が広がる)
5.孤松庵趾
(これは記念碑であって、本当の孤松庵はここにあったのではない。)
大網白里町清名幸谷にある「孤松庵」の記念碑
孤松庵趾前の道を挟んだ左側(東南)に孤松庵はあった。
(画面正面、林の手前の畑。孤松庵趾より望む。)
6.雄蛇が池
講義録中に「雄蛇の躑躅」などとある。
(孤松庵から北西に約4km:東金市)
7.上総の浜
黙斎は「浜で魚を買う」などと浜のことをしばしば言う。多分、浜とは片貝のことだろう。また、黙斎の門下は大網白里はもとより東金や成東にも多くいた。九十九里にもである。そこで、成東の本須賀海岸と九十九里の片貝海岸を載せた。
左は本須賀海岸
右は片貝海岸
作田川の終点。
片貝海岸から太平洋へと注ぐ。
右手に片貝漁港がある。
左は片貝漁港の船着場
右は片貝海岸の海の家(夏は海水浴 客でにぎわう)
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